episode 11-3
「こうして、今のお金の原型ができた!」

夏美
昨日までで、やっと銀行設立まできましたね!
吉永所長
はい。
明治5年(1872年)<国立銀行条例>し、その翌年最初の国立銀行が設立され、銀行券の発行が始まります。

吉永所長
ただし<国立銀行>という名称であっても、国営銀行ではありませんでした。
米国の<ナショナル・バンク>を国立銀行と訳してしまったのです。
“国の法律(国立銀行条例)によって設立された銀行“という意味です。
最初に設立されたのは、
・第一国立銀行
・第二国立銀行
・第四国立銀行
そして
・第五国立銀行
でした。
涼子さん
設立順に番号がつけれたんですよね!
夏美
そういえば、<第三銀行>はないんですか?
吉永所長
はい。
第三国立銀行は存在しません。 設立をめぐって紛争となり、解散してしまったからです。 ですので、現在三重県にある第三銀行は、第三国立銀行の後継というわけではありません。
<第三相互銀行>から変わったものです。
第三国立銀行は存在しません。 設立をめぐって紛争となり、解散してしまったからです。 ですので、現在三重県にある第三銀行は、第三国立銀行の後継というわけではありません。
<第三相互銀行>から変わったものです。
こうした国立銀行は、政府紙幣と金を元にして、それぞれ独自に銀行券を発行しました。
銀行券の図柄はみな同じで、発行銀行名だけが異なる形式でした。
銀行券の所有者は、この銀行券を銀行に持ち込めば、額面分の金と交換できました。
これを<兌換(だかん)券>といいます。

吉永所長
ところが銀行券の所有者は、次第に銀行券の流通量が減ってしまいます。
困った明治政府は、兌換(だかん)紙幣でなくても紙幣を発行できるように法律を改正。
不換紙幣が発行できるようになりました。
これにより、各地に国立銀行という名の民間銀行が次々に設立されました。
夏美
今でも銀行名に数字がついている銀行が、いくつかありますよね。
吉永所長
はい。
下の一覧はその時の名前が、そのまま残っている銀行ですね。
・第四銀行(新潟県新潟市)
※創立時の商号のまま現存する最古の銀行と言われています。
・十八銀行(長崎)
・七十七銀行(宮城県仙台市)
・百五銀行(三重県津市)
・百十四銀行(香川県高松市)
吉永所長
ただし長野にある八十二銀行は、第十九銀行と六十三銀行が合併した際、両者の数字を合計して名づけられています。
夏美
でも、<八十二銀行>ってもともとありましたよね?
吉永所長
はい。
でも、過去にあった八十二銀行は消滅していたので、ちょうどよかったのですね。
でも、過去にあった八十二銀行は消滅していたので、ちょうどよかったのですね。
夏美
そういえば、<第一国立銀行>は帝国銀行や第一銀行などの名前の変化はあったものの、現在<みずほ銀行>となっていますね。
涼子さん
あの有名な銀行さんも、ここから始まってるんですね。
吉永所長
話は戻りますが、銀行がだんだんと作られてきたのですが、不換紙幣が発行できるとなると、紙幣の乱発が発生します。
これはインフレを引き起こします。
夏美
紙幣の量が増えるとその分、一枚の紙幣の価値は下がりますもんね
吉永所長
そこで紙幣の乱発を防ぐため、中央銀行が兌換紙幣を発行する制度にする必要があるとして、欧州の中央銀行をモデルに明治15年(1882年)、<日本銀行>が設立されました。

吉永所長
3年後の明治18年(1885年)から、日本銀行券の発行が始まりました。

吉永所長
当初は銀本位制でしたが、明治30年(1897年)に金本位制となります。
これは、日清戦争で得た多額の賠償金があったからこそ金本位制が実現できたといわれてますね。
夏美
そのときの日本銀行券は、同額の金と交換できたんですよね。
その後、しばらくは兌換券の発行が続きましたが、金本位制だと紙幣の発行高が、中央銀行が保有している金の量に制約されます。
それを避けるため、昭和17年(1942年)、日本銀行券の発行は、保有する金の量に縛られなくなります。
これを<管理通貨制度>といいます。
吉永所長
日本銀行券は<不換紙幣>となりました。
これは裏付けのない、ただの紙になったのです。
しかし人々はこれをお金だと信じ続けました。
夏美
だからこそ今使っている紙幣が、お金と成り立っているんですね。
